46件の議事録が該当しました。
表示内容の正確性については最善を尽くしておりますが、それを保証するものではありません。

該当会議一覧

長野市議会 2020-12-04 12月04日-04号

また、松代荘につきましては、武家屋敷風モダン空間として整備するとともに、源泉掛け流しの湯を黄金の湯と称しまして、その昔、川中合戦のときには、くしくも来年生誕500年を迎える武田信玄隠し湯として、兵士の傷と疲れを癒したという、そういった逸話、ストーリーを戦略的に前面に押し出しまして、いわれのある名湯として、再来年の善光寺開帳に向けまして積極的にプロモーションをしてまいりたいというふうに考えております

長野市議会 2019-08-07 08月07日-03号

令和3年の善光寺開帳に向けましては、善光寺戸隠に加え、善光寺本堂前に建立される回向柱を寄進する松代や、川中合戦の折、善光寺の御本尊甲府に移されたという歴史を持つ川中島古戦場など、善光寺ゆかりのある観光スポットも含めた一体的なPRに努め、善光寺中心に、北に戸隠、南に松代川中島古戦場市内南北に結ぶ観光ルートを形成し、周遊観光促進滞在時間の延長につなげてまいりたいと考えております。 

伊那市議会 2019-03-07 03月07日-03号

狼煙ガイドには、「武田信玄川中合戦から京都上洛を目指し、伊那谷を重要な平たん地と位置づけ、情報・通信の重要な戦略として伊那谷に広範な狼煙ルートを構築しました。その狼煙の再現を通して、地域歴史文化を学び、地域連携のきずなを目的に狼煙リレーに取り組みます。」云々とあります。 狼煙上げ内容は、地区地域でさまざまな工夫、取り組みが行われております。

千曲市議会 2019-03-07 03月07日-05号

戦国時代武田信玄上杉謙信は、5回にわたり川中合戦を繰り広げています。これは、信州穀倉地帯である善光寺平を巡っての戦いといえます。当時から、善光寺平は、米、麦の二毛作のできる土地柄でした。 また、ここは石が全くないので、そのやわらかな土壌には、ナガイモ、ゴボウなど、特産の野菜がつくられています。千曲川の豊かな水は、水利にも恵まれ、流域の人々に大きな恵みをもたらしております。 

千曲市議会 2019-03-05 03月05日-03号

長野市内では、確か、川中合戦めぐりをやっているかと思いますが、そのために県道や駐車場整備案内表示設置等、必要になってきますが、積極的に進めていく考えはどうか、伺います。 続いて、大項目4、教育振興策の充実について、質問いたします。 小項目1、まず、いじめ、不登校問題への対応について、質問いたします。いじめが原因で自殺するという、痛ましい事件は後を絶たず、残念でなりません。

中野市議会 2017-12-07 12月07日-03号

間山地区には、川中合戦の際に建応寺が焼失したという伝承があり、昭和53年、54年にかけて市教育委員会により発掘調査がされ、3棟の建物跡が礎石により確認され、銅製阿弥陀如来坐像観音菩薩坐像などの御正体が発掘されました。この御正体から、間山は古代から中世にかけて修験道など山岳信仰拠点であったと考えられています。この建応寺跡は中野市指定史跡昭和59年に指定され、現在に至っています。 

長野市議会 2016-06-16 06月16日-03号

具体的には、歴史上名高い川中合戦物語の始まりとし、善光寺戸隠、更には松代文化財を織り交ぜてストーリーを組み立て、申請書を提出したものでございますが、残念ながら今年度は認定外となりました。 今回の認定状況を分析いたしますと、余り知られていない文化財の隠れた魅力や、ユニークな視点に立った物語性が評価されており、これまでの視点を変えていくことが必要ではないかと考えております。

塩尻市議会 2014-12-10 12月10日-04号

最近のユニークな事例として、山梨県の笛吹市では、担当窓口経営政策部経営企画課で、多額の寄附者には希望商品のほかに、寄附金10万円から50万円未満寄附者は、抽選で笛吹桃源郷春まつり川中合戦戦国絵巻行列特別武将役進呈し、50万円から100万円未満寄附者には、上杉謙信役進呈、100万円以上の寄附者には武田信玄役進呈、少額の5万から10万円未満寄附者には、希望商品二つ温泉金券利用券2万円

長野市議会 2014-06-01 06月11日-02号

日本一と言われる山並みを見られる本市でございますので、例えば川中合戦場だとか、エムウェーブ近くとか、千曲川堤防沿いとか、先ほど申しました大豆島公園とか、支所、公民館なども含めて設置可能な場所があるかどうかを是非調査していただいて、整備促進していただければいいのではないかというふうに考えますので、よろしくお願いいたします。 

千曲市議会 2011-06-16 06月16日-02号

質問の発端は、東京千曲会の一員であります櫻井孝三さんという雨宮出身の方が、川中合戦雨宮渡し跡に立つ「鞭声粛々の詩碑」誕生物語、こういう正式にでき上がったときになるかどうか、ゲラ刷りのタイトルはそういうふうになっていまして、そうなるかどうかわかりませんけれども、このような内容の冊子を出版したいと言って、調査のために訪ねて来られました。 

須坂市議会 2008-12-11 12月11日-04号

川中合戦1553年~1564年)では、須田氏一族が武田方上杉方に分かれ戦いましたが、本拠大岩城武田方に攻略され、領主、須田頼国、満親親子越後に逃れていきました。越後に逃れた須田親子は、その後、上杉景勝重臣となりますが、直江兼続も上杉家重臣でありました。直江兼続は須田満親と親しく、妹を須田満親嫡男光胤に嫁がせました。 

千曲市議会 2008-03-10 03月10日-04号

昨年5月30日、「華の川中合戦と銘打って、芸妓サミットが開かれました。市長は、厳しいけいこに裏づけされた踊りや三味線、鼓等鳴り物芸妓さんたちを大変感銘され、観光振興の一翼を担っていると評され、支援をしていきたいと申されました。その芸妓さんたち観光の落ち込みで、200人以上いた芸妓さんも今では30人そこそこになっています。 

千曲市議会 2007-12-12 12月12日-03号

古来から絶えることなく流れ続ける千曲川、ときには川中合戦の争乱の舞台となり、また大地を潤し、農業用水とし水運による産業を興し、川魚による食文化恵みをもたらしてきた大河なる千曲川。 このすばらしい千曲川名称をいただいた、千曲市第2代市長として御当選されました近藤市長には、心からお喜びを申し上げる次第でございます。また、副市長に御就任されました瀧澤嘉市様は、旧戸倉町よりお迎えができました。